荒らし †荒らし(あらし)とは、
概要 †「荒らし」という言葉は「荒らす」という動詞の名詞系である。 荒らさず 荒らし 荒らす 荒らせ 荒そう の「さしすせそ」の活用の一つ。 「荒らす」という単語には以下のような意味などがある。
「荒らし」は「荒らす人」または「荒らす状態」の意味でよく使われる。 「〇〇荒らし」のように別の単語と合わせて使われることも多く、場合によっては犯罪者として扱われる。(例:車上荒らし、畑荒らし) また、「荒らし」は「インターネット上の環境を荒らす人」の意味でも使われ、以下それについて解説を行う。 荒らし(インターネット用語) †インターネット上において「荒らし」とは、不特定多数が利用可能なウェブサイト(電子掲示板・ウェブチャット・ブログ等)において、他人が不快に思うような書き込み・発言(=荒らし行為)をする人を指す用語である。インターネット黎明期から存在し、1980年代のパソコン通信から多数の人間が利用する環境の場を乱す人間はいた。 しかし、どのような行為が荒らしに該当するかは主観によるところが大きく、行為者にその意図がなくとも荒らしと捉えられることがある。 実際に、そういった場所を荒らしている人間の目的はいろいろ考えられるが、他人を蔑んで優越感に浸る・他人を不快にして反応を楽しむことなどが挙げられる。 2014年、カナダの大学教授3名により「意図的にネット荒らしを行う者は議論や会話を目的とする者に比べてマキャベリズム(目的のためなら手段を選ばない人)・ナルシスト・サイコパス・サディストを併発している傾向が極めて強く、他のあらゆるタイプと比べてもスコアが突出している」という研究結果が発表されている。 類型 †荒らしにはさまざまな類型が存在する。下記はその一例である。また、複数の類型を併発する者ももちろん居る。
対策 †荒らしに対しては、徹底的に無視を決め込むのが効率的かつ効果的な対処法であることが経験的に明らかにされている。彼らを突き動かしているのは自己顕示欲であるため、無視が一番効果的なのである。荒らしを放置して何もなかったかのように振舞うことができれば、ほとんどの荒らしは自然と沈静化・消滅すると言われている。「荒らしに反応する者も荒らし」とも言われる。 2chでよく使われる荒らし対策用AA † || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| 荒らしの大多数は、他人の意見に耳を傾けることも、自分の行動に対して疑問を抱くこともないとされる。そうした者たちに理を唱えても聞き入れる可能性は低く、逆に感情を逆撫でして荒らしに拍車をかけてしまう危険の方が大きい。 かといって荒らしと同じ土俵に乗って、互いに罵り合うような対応もまた論外と言える。このような対応をする者は、荒らしと同列にみなされてしまう場合がある。 問題点 †主に趣味による繋がりを基本とするコミュニティにおいては、異なる価値観に基づく事柄や、偏った知識・感性に基づく不合理な内容、または誤った書き込みを延々と続ける人が飛び込んだ場合、その人が他者に対しての攻撃性を持っていなくても「書き込み内容が不愉快」、「気分が悪い」という理由で「荒らし」と認定し、排除する方向に動くものも多い。たとえ「徹底的に無視を決め込んだ方が良い」という声があがっていても、「我慢出来ずに手を出してしまう」者が、多いのである。これが前述する「荒らしに反応する者も荒らし」である。 荒らしに反応した者もまた、荒らしを懲らしめて追い出すことで沈静化を図ろうとしている、と考えているから、「自分が荒らし行為をしている」という自覚は持っていない。また見過ごせない理由は、「自分たちが嫌な思いをしているのに、相手だけが嫌な思いをしないのは不公平だ」とか、「この場に相応しくない」という価値観に基づくものであるとも言えよう。 また、一人ひとりが、各々の人生経験などにより構築されてきた個人的な価値観の違いや、モラルに対する意識の食い違い・ぶつかり合いが原因となって、ルールが明文化されていないにもかかわらず「相手はルールを破っている」という錯覚を引き起こしやすい(言い換えれば「『自分ルール』を他人が破ること」に対して不快感を感じるのである)。これも荒らしに反応する原因の一つと成りうる。 このような閉鎖的で他律的な価値観を参加者に押し付けるコミュニティの形成が、まさしく「荒らし」を生み出す温床となっているにもかかわらず、「閉鎖的かつ他律的なコミュニティの方が気分良く居られる」と信じこんで、このことに気がついていない人が多いのが現状である。 留意点 †荒らしと批判の違い 荒らしに対して過敏なネット利用者は、論拠・論点を明示した真っ当な批判意見さえ荒らしであると一方的に決め付けてしまう傾向がある。これは、インターネット上の発言は常に好意的に行われるべきという誤った認識に支えられた理屈である。換言すれば「和を乱すもの=荒らし」であるという論理である。 言論の自由の原則から考えると、これは褒められた風潮とは言い難い。批判意見が無条件に弾かれてしまう共同体は、イエスマンのみが集った小集団にならざるをえず、その意見・価値観は閉鎖的で先鋭的なものになりがちである。このことがかえって、荒らしを生み出す温床になることさえある。 しかし、広く意見を聞くという名目を利用し批判という名の下で中傷や罵倒が正当化されてしまうような自体を招くこともあり、それもまた強く避けるべき事柄である。そのような書き込みはもはや真っ当な批判とはほど遠い物であり、相応の強い対処が求められる事になる。 あからさまな物以外である場合、ある意見を荒らしであるか批判であるかを判別するのは、高度な常識が要求されるため難しい側面がある。ただし論拠と論点の両方を明示して表明される意見に関しては、少なくとも単なる荒らしとは異なる対処法が必要になってくる。
以上の手順を踏んでもまともな議論にならないような場合は、荒らし(もしくはその予備軍)とも考えられる。 荒らしに反応する人を煽る †荒らしに反応する者も荒らし、もしくは無自覚な荒らしという言葉があることはすでに書いたが、
と、反応した側を非難する人もいる。一見すると正論に見えるが「荒らしに対して過剰に反応する(反応型・便乗型)」に反応しているので、彼らもまた荒らしに反応する者も荒らしに該当してしまう。また、反応した側は冷静さを失っているので(保っているなら反応しないはず)、上のような言葉をぶつけることは火に油を注ぐに等しく、沈静化を遠ざけてしまう。 問題点の項に「『書き込み内容が不愉快』、『気分が悪い』という理由で『荒らし」』と認定し、排除する方向に動くものも多い」と書いたが、全く同質のものと言わざるを得ないだろう。 本当に事態の収拾を望むなら、上のような言葉は禁句とし、相手の憤った感情を否定しないようにスルーするよう説得に努めるべきである。 関連用語 †
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