粛清 †「今すぐに逆賊を粛清するニダ!」 粛清(しゅくせい、英:purging)とは、自分たちの国をこの世に実現させるために必要不可欠な無差別大量殺人であり、明白なる使命である。 理想 †この世界には、「悪」と「不正」がはびこっており、それを正すのは力ある者の義務である。この世界において、「悪」と「不正」をよしとする者など存在しえず、存在するならばそれはすでに人間ではなく悪魔であり、悪魔に尊厳も品格も認める必要などなく、それゆえに悪魔へ対するあらゆる攻撃(排斥、差別、侮辱、妨害、略奪、傷害、凌辱、殺戮、NTR)は正義であり、それらの行為はすべて使命であり、それゆえに肯定されるべきである。…という、いわば「命の大切さを説くために、命を粗末にする者を皆殺しにする」「正義を実現するためなら、いかなる悪どい手段も辞さない」というような逆説的かつ致命的な矛盾を抱えている理論なのだが、そんなことは誰も気にしないし、もしそのことについてあなたが疑義を唱えるならば、それこそ粛清にとって、もっとも憎むべき反逆である。 その結果…第二次ブリティッシュ作戦とアクシズ落としによって地球連邦は粛清されました。 「私、ギレン・ザビが粛清しようというのだ、レビル」 中には、自らをもって粛清を実行する正義の士もいる。
現実 †…と、それらしい大義名分さえ掲げておけば、気に入らない相手に対してどのような暴力も肯定され、正義とされる。すなわち、この世界においては力こそは正義であり、力なき者はその存在からしてすでに悪なのである。その事実はまさに人類の歴史が物語ってきた真理であり、戦いにおいて勝者は常に正義であり、敗者は常に悪なのである。勝者においてはどんな悪も闇も暗黒面も、そのすべてにおいて光を当てられてはそれらすべてを偉業として神々しく美化され、敗者においてはどんな善も光も功績さえも、そのすべてにおいて闇に塗りつぶされてはそれらすべてを悪行として禍々しく脚色されてしまうものである。 もしその事実をあなたが気に入らないというのなら、力を手に入れることである。あなたはあなたの信じる正義を力で貫き通し、今この世界にのさばっている価値観をすべて覆すしかない。そしてあなたの気に入らないすべてを略奪し、破壊し、殺戮し、凌辱すること。それは神より託されたあなたの使命であり、あなたという存在にはそれを成し遂げるだけの可能性がある。…もしもあなたが、その戦いに勝利したならば。 「革命か死か、粛清に勝利を!」
方法 †あなたに確信する正義があり、あなたにその正義を実行する力があるのなら、粛清の方法は何でもありである。大切な点は、その対象が
であること。しかも、それを民衆に悟らせることなく、またいかに露骨であろうと、それを糾弾する権力の一切を沈黙させる癒着か根回しが事前に必要であることは言うまでもない。それらの手続きを経たなら、あなたは好きな方法…斬首刑であろうと銃殺刑であろうと凌遅刑(足の先から寸刻み)であろうと火炙りであろうと八つ裂きであろうと絞首刑であろうと電気椅子であろうと磔刑であろうとコンクリ詰めであろうと大釜で茹で殺そうと犬に食い殺させようと投稿ブロックの刑に処そうと、あなたはそのイマジネーションと欲望の思いつく限り、どんな殺し方をしようともあなたの粛清は正義であり、あなたはそれを存分に楽しむことができるのである。 「1人殺せば殺人だが、156×156人殺せば英雄である」 歴史 †天地開闢、人類の発祥以来正義は存在し、また悪も存在するがゆえに粛清の歴史は人類の歴史である。もしもあなたが粛清においてより斬新で、よりグロテスクかつアグレッシブな方法でそれを執行したいのであれば、偉大なる先人たちの手によって成し遂げられた粛清の方法を学び、あなたならではの愛とユーモアを加味することであなたらしさを演出することができ、あなたは偉大なる独裁者としてその名を歴史に刻むことができるだろう。孔子の言う「温故知新」とは、まさにそのことである。 粛清される反逆者たち。
以下に、クソったれな偉大なる暴君どもや英雄たちを紹介する。
「地獄の門を開けてくれ。もっと、もっと粛清を・・・!」 称賛 †「粛清の正義を疑う者どもは腹を切って死ぬべきだ。また、彼らはただ死んで終わるものではない。唯一神又吉イエスが地獄の火の中に投げ込む者達だ。彼らの支持者も同様だ。理由は他人を疑うなら自分達も疑うべきだからだ。詳しい理由は毛主席語録等で熟知すべし。」 批判 †「国家の奴め、粛清ばかりしおって! けしからん!!」 疑問 †疑問を持った人は [ 粛清されました。 ] その後 †その後を知った人も [ 粛清されました。 ] |