発狂 †発狂(はっきょう)とは、精神に異常をきたし、ひどく取り乱した様を言う。 語源 †日本で初めて発狂という言葉が使用されたのは江戸期末期と言われている。言葉の由来は諸説あるが、中でも「fuck you」の日本語転写に由来するという説と、相撲における行司の「はっけよい」から転じたという2説がよく知られている。 Fuck you日本語転写説 †ペリーさん。結局掘ったみたい
1853年、マシュー・ペリー率いるアメリカ海軍東インド艦隊が突如東京湾に現れ、徳川幕府に開国を迫った。いわゆる黒船来航である。当時、幕府側には英語を話せるものがおらず、唯一貿易を続けていたオランダの言葉しか舶来の言葉を理解できなかった。この結果、交渉は幕府側、アメリカ軍側双方のオランダ語通訳である堀達之助、アントン・ポートマンを介して行われるという非常に煩雑なものとなった。 堀はオランダ語に通じているといっても、故郷の長崎で出島の通訳をしてから10年以上が経過しており、その通訳はかなり不完全なものであった。一方、アメリカ側の通訳ポートマンもオランダ人であり、その英語もまた完璧なものではなかった。結果的に交渉は意思の疎通が困難となる部分が多くなり、時間の経過とともにペリーは苛立ちを見せ、外交の場ではとてもよろしくない四文字言葉を多く吐くようになっていた。堀はこの時の状況を「ペリーはハッキョウ(Fuck you)、ハッキョウなどと奇声を上げ、交渉の場に緊張が走った(現代語訳)」と記しており、このペリーの苛立ちからくる「ハッキョウ」に「狂いを発する」という字があてられ、発狂という言葉が生まれたとされている。 以下、のちに自らの誤りを認識した堀が記した交渉録から部分的に抜粋して現代語訳する。
行司のはっけよい説 †江戸期末期の相撲
明治以前の相撲はスポーツというよりも大衆娯楽の色合いが強く、「いかにしてその場を盛り上げるか」に重点が置かれた興行であった。そのエンターテインメント性が最も色濃く出ていたのが江戸期末期であり、力士は七色の光を発して空を飛び回りながら戦闘を続け、相撲という範疇から大幅に逸脱した競技を続けていた。 また、力士が力士なら行司にもそのエンターテインメント性は強く求められており、いわゆる「はっけよい!」の掛け声が高音のシャウトととなるのは当たり前の流れであったのだろう。当時最先端を行っていたとされる11代目木村庄之助は「ハッキョーーーイ!」のシャウトと共に土俵の内外をのたうち回り、奇声を上げながら勝負をそっちのけで観衆の目を独占していたという。 しかし幕末の動乱期にそのエンターテインメント性の支持は急落し、時代に取り残された行司達の行動は単に気が狂った状態と見られるようになった。この行司の見るに耐えないひどく取り乱した様は、その掛け声から「ハッキョイ」あるいは「ハッキョウイ」などと言われ、のちに「狂いを発する」という字があてられて発狂という言葉が生まれたとされている。 江頭2:50を発狂させるには †まず、以下のような「どうしようもない記事」を見つける。
この記事のような面白くない人が面白い人の真似をした結果、とても面白くなくなってしまった二番煎じを見つけることが望ましい。関連項目に挙げられている「ヤンデレ」や「クソ記事」のメッセージがより一層つまらなさ、痛さ、クソさを引き立てており、この記事は文字通り「どうしようもない」状態である。 このようなクソ記事を見つけたら問答無用でNRVタグを貼り付け、要約欄に挑発的な言葉を残すことにより作者を発狂状態に陥らせることが出来る。 要約欄のコメントは、その活動歴によって変える事が望ましい。例えば活動歴が長い利用者なら「○年やってこんなクソ記事しか書けないのか。マジでセンスねーな」や「こういうただ歴が長いだけのクソつまらん奴のせいでEgachan Galleryが過疎化するんだろうな」など。新しめのアカウントやIP利用者には「つまらん」の一言だけで発狂させることが可能である。 近年のEgachan Galleryでは、この一連の行動をスポーツ化し、いかに相手を発狂させるかを競う「エクストリーム・NRV貼りつけ」なる競技も盛んに行われている。 |