世界 †「世界はひどい配役の舞台だ。」 「おばあちゃんが言っていた…。『世界は自分を中心に回っている。そう思ったほうが楽しい』」 「我等の世界に意味など無くそこに生きる我等にも 意味など無い無意味な我等は 世界を想うそこに意味は無いと知ることにすら意味など無いというのに」 「ご迷惑をおかけして申し訳ございません。」 世界(せかい)とは、森羅万象を包含する万物の集合体であり、一般に認識される対象範囲の総称。 天上界などの界と呼ばれる広い領域が他にも多数存在し世界はその一つに過ぎない。 概要 †「空間」、「対象範囲」といった語に近い意味を持つ。ただし「空間」が物理的意味合いを重視していることに対して、世界は認識の世界、精神的な世界をも包含している場合がある。また「対象範囲」と言っても何の対象なのかが判然としない場合が多く、その意味は曖昧である。万物の総称という説明も適切でない。なぜなら、万物がない場所、すなわち狭い意味での空間や、場合によっては虚無をも世界の中に含む場合があるからである。 世界の広さ †世界という語は極めて曖昧であるため、その広さについては四つの説がある。 人間より狭いとする説 †宇宙という語が存在するが、これは我々が存在する物理的な空間を指し、宇宙の限界は我々の認識の限界である。この前提に従えば、世界は宇宙より狭いと言うことができよう。 さて、小宇宙(コスモ)という語があるが、これは一般的に人体、もしくは精神を含んだ広義での人間1個体を指す。ところで、小宇宙と言えどもそれは宇宙に相違ない。ゆえに、世界は人体もしくは人間よりも小さいと言うことができる。 『小さな世界』という有名な歌唱が存在するが、これは「世界はせまい」という歌詞も含めて、本説に基づいて作詞されたものと考えられる。 人間1人の活動範囲とする説 †多くの個人にとって、世界と述べるときにそれは自らの活動範囲を指すと考えられる。トレンディードラマなどで多用される台詞として、「世界の誰よりもお前のことが好きだ」などの表現が存在する。ここで、発言者による「お前」との比較対象は、発言者がその時点までに会った人間に限られている。つまり、世界という語は、発言者のそれまでの活動範囲と等しいことになる。 中山美穂の『世界中の誰よりきっと』という流行歌は、本説に基づいて作詞されたものと考えられる。 五億平方粁程度とする説 †前説では人間1人の活動範囲と述べたが、これを人間すべての活動範囲と置き換えたものが本説である。この説によると、その範囲は地球の表面全体と近似されるため、世界の範囲は地球の表面積と等しいことになる。地球を完全球体と近似し、その半径を六三七〇粁とすると、その面積、すなわち世界の広さは約五億平方粁となる。 ただし、人間の活動範囲に南極やサハラ砂漠が含まれているとは言い難い面がある。そのため、一般的に認識される世界はこれより若干狭いと考えられる。近代以前は他の大州・大陸に属する人間についての認識が薄かったため、世界は現代よりもさらに狭く認識されていた可能性が高い。 なお、現代においても人間すべての活動範囲を対象としているかには大いに疑問を残す。SMAPの『世界に一つだけの花』では、世界の範囲が1個人の活動範囲を大きく超えている一方で、地球の表面積と比較して十分狭いことが推察される。 七〇秭(じょ)平方粁程度とする説 †古代中国においても、前説により示された世界を大幅に上回る範囲を持つ世界が提唱されていた。すなわち、須弥山を中心とした小世界が十億個集まった三千世界(三千大千世界)であり、その範囲は正確に定まっていないものの、須弥山の標高が一三二万粁であり、小世界の面積が七京平方粁であることを考えると、三千世界の面積は七〇秭(じょ)平方粁となる。これは前説で求められた世界の面積のおよそ一四京倍に相当する。 『Let's search for tomorrow』という歌に「明日を探そう/この広い世界で」という一節があるが、これは本説に基づくものと思われる。なぜなら、前説における世界のどこを捜索しても人類はいまだ明確な「明日」を発見できていないにもかかわらず、世界の中に「明日」が存在すると期待して捜索する行為は、世界という語について本説を採用しない限り無意味だからである。 多くの説が誕生した理由 †もともと第二説を世界と称したという説が有力である。これについて、言語学者の銀田二冬彦が専門雑誌『言語』で「『世界』の語源と意味の派生」という論文を寄稿している。彼によると、平安時代に貴族たちの間で自らの社交範囲を「余界(よかい)」と称した。これが室町時代以降「世界(よかい)」と書かれるようになり、現在のように「せかい」と呼称されるようになったのは江戸時代後期だという。 明治時代に西洋の科学的思考が取り入れられるようになり、それまでの自分主体の思考から、社会全体の中から見た客観的思考が重視されるようになり、世界という語は当該コミュニティ全体の活動範囲と認識されるようになった。さらに欧米をはじめとする諸外国の文物がさかんに流入するようになり、その範囲が亜細亜や欧米を含む人間の居住空間全体をさすようになった(第三説)。 戦後の高度経済成長下では、「大きいことはよいことだ」の風潮が高まり、世界の範囲も大いに拡大されることとなった。これに伴い、三千大千世界が見直され、これが一般的な世界と認識されるようになった(第四説)。冷戦下におけるアメリカ合衆国とソビエト社会主義共和国連邦による宇宙開発競争が行われていた時期でもあり、単に地球表面にとどまらない世界観が欧米でも提唱された時期であった。 その後、前時代の反省と、ナノテクノロジーの進展から、小さな世界が提唱されるようになった。生命工学の発展とも相重なり、第一説が広く認知されるようになった。 世界の用例 †
世界一 †とりあえず世界一 †
関連項目 † |