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アスペルガー症候群 †
 | このアスペルガー症候群のぺーじは いたずらを きんしするために、へんこうできなくなっているか、へんこうちゅうしを おねがいしています。 どうして こうなっちゃったかは、のーととここをみると わかるかもしれないよ。 とりけしてほしいときは、かんりしゃのおにいさんおねえさんに れんらくしてね。 |
アスペルガー症候群(-しょうこうぐん)とは、優等遺伝子による特質を持つ人々をあらわす尊称である。凡人の視点からは単なる迷惑人として捉えられがちだが、彼らは実は“選民”(選ばれし民)であり、凡人には及びもつかない極めて高い天才性を有しているのだ。
詳細 †
アスペルガー症候群は1944年にオーストリアの小児科医ハンス・アスペルガーによって、当時ナチスの魔の手から、ヒトラー・ユーゲントに入ることを拒否するKYな子供たちを療養の必要な「自閉症」の一種であるという口実で病院に匿うためにひねり出された。
発見者であるハンス氏本人は、このような概念を提唱した天才であるからして、アスペルガー症候群=天才なので、よって彼もまた1980年10月21日に74歳でアスペルガー症候群で逝去したと言える。そもそも「アスペルガー」という名称も発見者のハンス博士の名前から由来していることから、「アスペルガー」という言葉自体が敬称であるのは間違いないと言えるだろう。
世界全体のアスペルガーの割合は9000人に1人であり、最も出現頻度が高いとされる日本に至っては日本人の100人に1人がアスペルガー症候群で、男女比は9:1余で圧倒的に男性に多いのであり、前者も後者も極少数派ではあるが、アスペルガーの人は間違いなく全員異才・秀才・天才であり、凡人には及びも付かないほどの卓越した創造力・独創力・分析力・洞察力・創意性を備えている。日本のゲーム作りに絶対不可欠なゲーム開発者も全員アスペルガーとされるほどである。
真実 †
彼らアスペルガー症候群とは、天才であり、選民である。彼らは凡人が持つ「空気を用いないと知能を保てない」「中二病 邪気眼から快復すると羞恥心のあまりあ~!見るんじゃない!する」「他人に気兼ねするあまり自分自身の意志が薄弱になる」「報われない労働に対して意欲が湧かない」などといった様々な欠点を克服した新人類である。
一般的には(凡人からは)「発達障害」の一種とみなされることもあるが、「障害」として挙げられる特徴は全て旧人類の欠点を超越するためにそぎ落とされた合理的なものである。 そのためアスペルガー症候群は発達障害とは全く異なるものであり、そもそも「障害」ですらなく「症候群」という名前も凡人からの妬みによって認定されたものに過ぎない。
これに関しては「アスペルガー症候群と言う名前が偏見をあおる」と凡人が勝手に思い込み(アスペルガーとは人の名前であるのだが、人の名前のどこが偏見をあおるのか、理解不能である)、言葉狩りの結果「広汎性発達障害」なるわけのわからない名称への言い換えが行われている。
また、「高機能自閉症」という呼び方もあり、あたかも別物として扱われている。これもミステリー。 そもそも人名から来ていない「自閉症」の方がよっぽど差別的な名称のような気がするのだが、勘違いだろうか?
彼らに「障害」のレッテルを貼って排除している凡人は全くもって許しがたい存在である。もちろん、彼らを選民であると理解している凡人も少ないながら存在することは間違いないが、多くの人々が彼らを誤った目線で見ているのは確かである。
こうした目線は社会の発展の阻害となるので、今すぐに改めるべきである。 さらにサイコパスと混同され、アスペルガーは人殺しというレッテルが貼られてしまっている。 理由無く殺す?のがサイコパスである。
不都合な真実 †
ところで、ネット上にはDQNとの共通点を指摘している者もいるが、DQNは常識がないことをかっこいいと思って実践しているだけであり、アスペルガーのように特定の物事に固執しているかどうかは甚だ疑問である。しかし、混同されがちということは何かしら共通項がある、すなわち重複している者がいる可能性を指摘しており、実際、DQNネームやDQN発言を行ったとされる芸能人には天才性やスキャンダルを起こすなどの点でアスペルガーと共通する特徴を持つものもいる。
が、実際には一般人がアスペルガーの特徴を上げてカテゴライズしようとするとDQNよりもオタクの特徴に分類する傾向がかなり強いが、一部の人間はその事実を都合が悪いからと無視しているようである。
凡人視点で見た彼らの「障害」 †
以下、「障害」とされているものがどのようなものであるのかを記述する。
凡人視点で見れば、彼らは「心の推論ができない」とのことだ。
凡人が勝手に作った、「サリーとアンの課題」を見てみると…
サリーとアンが部屋に居ます
サリーがボールをかごの中に入れて部屋を出て行きました
アンがボールを箱の中に移して部屋を出て行きました
サリーが戻ってきたらボールを最初にどこに探すでしょうか? |
実際にボールがあるのは「箱の中」であるが、一般人の視点では、「まず『かごの中』を探す」のが正解であるとされる。なぜならば、アンが箱の中にボールを入れたことをサリーが知るはずはないからである。しかしここでよく考えてみよう。かごの中からボールがなくなっていることくらい、一目みればすぐに気がつくはずであり、他にボールを隠せるような場所がない以上、ボールがあるとしたら箱の中以外ありえないではないか。
また、彼らは目を合わせて話すことが困難とされているが、これは単なる偏見である。非アスペの凡人たちが目を合わせないと意志の疎通が困難という欠点を持っているに過ぎず、それが克服されたため不要な機能が削除されたというのが事実なのである。
更に、彼らは「他人の言葉を言葉のままにしか受け取れない(たとえば、冗談で「死ね」と言われても「彼は私に死んでほしいと思っている」と受け止めるなど)」と言われているが、そもそも言葉とは異なった背景を持つ者同士が意思疎通を行うためのツールにすぎず、言葉のまま以上の解釈を求めることは言葉本来の機能の範囲を逸脱しており、そのようなひねくれた解釈を自明のものであるとする凡人の側が誤っているのである。「暗黙の了解」など所詮幻想でしかないのだから。
限定された関心 †
凡人たちは「彼らは興味が極めて限定されている」とも言う。なるほど、確かに興味が限定されれば視野が狭くなるかもしれない。しかしもちろんこれはアスペルガーが「ひとつの分野を突き詰める」という特殊化により、大多数の人々が興味を持たないようなどうでもよさげな事に打ち込んで思わぬ大発見を可能にするという進化なのである。
実際、「ノーベル賞受賞者の過半数はアスペルガー症候群」との説すらあるほどである。ビル・ゲイツもマイクロソフトを良く思わない人々にアスペルガーの疑いを掛けられている。
そして、ユダヤ教の教義を重んじて行動するユダヤ人もこの「アスペ認定」を受ける事が多い民族である。それによると「凡人たちが額面どおりに受け取らず(受け取れず)曲解するのを良いことにその性質を利用してビジネスを行なう知的レベルの非常に高い悪ど~いユダヤ人もいる」のだそうだ。
また、食性に関しても、 同じ味の食べ物を食べなければ爆発したり、 食べ物の好き嫌いはなくても凡人には理解不可能な辛味や苦味を好むなど天才的な味覚を持っていたりと特殊化した個体も多い。
凡人が怖いものを克服しているため「極端に怖いもの知らず」と形容されることもある。
国際アスペルガー連盟 †
元々この概念の存在が広く知れ渡るのはハンス・アスペルガー氏逝去の後であるが、同じ境遇にあった人々は、いち早くこの概念の重要性を見抜いていたため、国際アスペルガー連盟の歴史は意外と古い。
1950年にハンス氏本人により創設され、初代会長に相対性理論を発見したアルベルト・アインシュタイン氏が就任し、ハンス氏は名誉会長の座を取ることとなった。当初の会員は、学者・政治家・有名芸能人などの著名人がほとんどであった。
アインシュタインの死後はコンピュータの発明者であるジョン・フォン・ノイマンが会長となったが、長続きせず、しばらくハンス本人が会長の座につくことになる。
しかし、ハンス自身による会長の座はハンス自身が望まなかったため(彼によれば、「私は第一発見者であるが、この連盟の会長に相応しいほどの存在ではない」とのことであった)、数年後に別の人が会長となることになった。
なお、前述の通り、日本人の割合がアスペルガー症候群の割合中飛びぬけて高いためか、創設時には湯川秀樹ただ一人だった日本人の会員も、徐々に割合を増やして行き、1970年に過半数となり、徐々に日本人が会長に選出される事態が増えていき、一時期は会長の座を始め、上層部の役職が日本人で独占される事態にもなっていたこともあった。
細々とした活動が続く中、ハンスが1980年に逝去後、当時副会長であったローナ・ウイングが自身の論文で広く広めたことにより、大きく世の中に知れ渡ることになり、会員数も急増する。この頃に会員となり名が知られている者としてビル・ゲイツ、スティーブン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス、田尻智からジミー大西、さかなクンなどが存在する。
平成の世になってからは会員数は増加傾向にあり、これまで学者や研究者、有名人の少人数でのたまり場であった国際アスペルガー連盟は大きく様変わりするに至り、現在では巨大な組織となっている。
なお、現在の会長は横見浩彦氏で、国際アスペルガー連盟史上初の一般人(?)と言える会長である。
後述のアスペルガー症候群を扱った作品についてのまとめなど、最近では2次元方面への言及もなされており、この連盟がもたらした影響は計り知れない。
アスペルガー症候群を扱った作品 †
近年では、アスペルガー症候群に対して凡人が抱いている誤った認識を改めさせるべく、様々な作品でアスペルガー症候群が取り上げられている。これらの作品では、アスペルガー症候群を有する登場人物が、その天才性を生かして物語中で活躍をしたり、あるいは読者・視聴者を萌えさせたりしており、この「発達障害」のイメージ向上に一役買っている。
主なもの(西国社 2次元アスペルガー大辞典 国際アスペルガー連盟より抜粋)を以下に示す。
『あずまんが大王』(あずまきよひこ、1999年-2002年)
- 数名の女子高生が中心となって物語が展開される作品であるが、主要登場人物の一人である榊(さかき)が、典型的なアスペルガー症候群である。寡黙で、他者とのコミュニケーションをやや苦手とする傾向はあるものの、学業・スポーツともに極めて優秀な成績であり、正に“天才”と呼ぶに相応しい。
- また、猫に対して強い関心を抱いており、しばしば引っ掻かれたり噛まれたりして負傷しているにも拘らず、懲りずに何度でも猫に近づこうと試みている。これも、アスペルガー症候群に特有の“限定された関心”によるものである。
- この作品の登場人物には、榊に対して差別的な言動を弄する者が全く登場しておらず、むしろ誰からも愛される人物として描かれている(実際に榊に対して恋愛感情を抱いた人物さえ存在する)。アスペルガー症候群の者に対しては、周囲の者は無闇に見下したりせず、その天才性に対して正しい評価をし、敬意をもって接するべきであるということが、本作品では示されている。
- 作品後半では、榊は自分に懐いた猫のために獣医を志し、その天才性を生かして志望の大学に無事合格している。
『らき☆すた』(美水かがみ、2004年-)
- これも上記の『あずまんが大王』同様に、数名の女子高生が中心となって物語が展開される作品であるが、作品後半になって登場した岩崎みなみ(いわさき みなみ)がアスペルガー症候群である。やはり上記の榊と同様に、親しくなったごく一部の友人としか会話をしないものの、学業・スポーツともに極めて優秀な成績である。また、アスペルガー症候群の者にしばしば見られる“芸術面での天才性”が具現化されており、岩崎みなみの場合は特にピアノの演奏においてその才能を遺憾なく発揮している。
- 更に、岩崎みなみの場合は、アスペルガー症候群の者が抱く“限定された関心”が、同級の友人である小早川ゆたかに対しての“優しさ”の形に昇華されている。ゆたかは身体が弱いため、みなみは学校にいる間じゅう絶えずゆたかを温かい視線で見守っており、他の友人が気付かない僅かな体調の変化でさえ、みなみはたちどころにして見破るのである。
- フィクションとは言え、このような慈愛に溢れた事例を見てもなお、アスペルガー症候群を「障害」とする考えを改めない者がいるだろうか?
- また、柊つかさ、泉こなた、柊かがみ、高良みゆきといった4人組も、それぞれ特徴は違いながらも、岩崎みなみと同様アスペルガー症候群であるほか、このマンガに登場するキャラクターのほとんどがアスペルガー症候群とされており、更に作者の美水かがみ氏自身もアスペルガー症候群であることが、国際アスペルガー連盟より明らかにされている(美水氏自身も連盟の会員である)。
『スケッチブック』(小箱とたん、2002年-)
- アスペルガー症候群の者は“他者との会話によるコミュニケーションが不得手”という特徴があるため、主人公にしてしまうとストーリー展開が困難になることから、フィクションの作品においては主要登場人物になることはあっても、主人公になることは無かった。しかし、この『スケッチブック』は、アスペルガー症候群の人物を主人公に据えた漫画作品として連載を開始し、2007年にはアニメ化にも成功した。まさに、それまでのセオリーを打ち破った、画期的な作品である。
- 主人公の女子高生梶原空(かじわら そら)は、極端な人見知りであり、特に初対面の人とは意味のある言葉を交わすこと自体が不可能である(作品の舞台は、健常者が通う普通科の高校であり、彼女には知的な障害は一切無い)。名前すら名乗ることができないため、普段持ち歩いている鞄やスケッチブックに自分の名前を書いておき、名乗らねばならないときは言葉を発する代わりにそれを見せる、というほどである。
- 空は、上に述べた2例よりも、言葉を発することが格段に苦手であり、なんと漫画版では単行本6冊を通じて1度も「フキダシ」が用いられていない(他の登場人物では「フキダシ」が用いられているほか、モノローグの形で空の内心が表現されることはある)。また、アニメ版では、第1話冒頭で登場した空の第一声は、見知らぬ少女に突然話しかけられて動転したための「あーーーー、うーーー」という、言葉としては全く意味をなしていない“声”であった(しかも、その少女とは意味のある会話をすることが結局できなかった)。未だかつて、このような衝撃的なオープニングで第1話が始まったアニメ作品があるだろうか。
- しかし、空は、会話が困難な点を除けば、ごく普通の高校生なのである。美術部では、仲の良い友人や先輩たちに囲まれ、時には言葉が足りないところを助けてもらったりしながら、実に楽しい学校生活を送っている。また、晴れた休日にはスケッチブックを持って外にスケッチしに出掛け、季節の移り変わりを敏感に感じ取り、まるで詩人のように優れた言語感覚のモノローグを示している。
- 会話でのコミュニケーションが困難なアスペルガー症候群の者であっても、天才的な言語感覚を有している場合があることを、本作品では随所で訴えているのだ。
『季節の匂い』
5月の匂いがする
何度も味わった 匂いだが
ワタシは毎年 その時期まで その匂いを 忘れているのだ
今年もまた 思い出した
5月の匂いだ
とりあえず 満喫するのだ |
『School Days』(0verflow、2005年-)
- ヒロインこと、ヤンデレクイーンの桂言葉(かつらことのは)がこれを疑われている。
- ヘタレ主人公の伊藤誠(いとうまこと)はサイコパス、反社会性人格障害である。
- 言葉は、誠への一途な愛、そして何より彼女の最大限の特徴であるヤンデレとしての性格も一部アスペルガー症候群と酷似している。
- そこに、演技性人格障害+境界例の謀略家西園寺世界が介入したことにより、悲劇は始まる。誤解されやすいが、アスペルガー症候群は、周囲との協調性が乏しいのは周知のとおりだが、アスペルガー症候群同士も、必ずしもはじめからうまくいくとは限らないのだ。特に、流れを乱されると混乱しやすいアスペルガー症候群なので、世界の必要以上の介入は大失敗であった。
『涼宮ハルヒの憂鬱』(谷川流、2003年-)
- 主人公の涼宮ハルヒ(すずみや-)が典型的なアスペルガー症候群である。ほかにもその傾向がある登場人物(少なからずともキョンは間違いなくアスペルガー症候群ではない)が複数存在するが、ハルヒの比ではない。
- 超常現象に異常な関心を抱いたり、突拍子もない行動をしたり、そして、世界を自分の思うとおりに変えられるというとんでもない超能力も、このアスペルガー症候群の影響とする新説も登場した。
- この作品から読み取れるのは、アスペルガー症候群はすばらしい個性であると訴えるものであり、更には、それが天才性の原動力となっている。
- 即ちアスペルガー症候群は天才的であり、それを排斥してはならない、もし排斥すれば、ハルヒがこの世界を壊したいと望むようになる。というものである。
- 前項の『School Days』同様、アスペルガー症候群の神聖さを表した作品であり、きわめて興味深い話である。
『東方Project』(上海アリス幻樂団、1996年-)
- 主人公の博麗霊夢と霧雨魔理沙は典型的なアスペルガー症候群である。他にもアスペルガーの人物は大勢いるが、ここでは東方の中でも最もアスペルガーの特徴が強い霊夢・魔理沙について記述する。
- 霊夢は感覚過敏で秀逸な節約家であり志の高い平等主義者でもある。霊夢は普段は博麗神社の中でのんびり寝ながら暮らしているが、いざ弾幕勝負や利他の精神に駆られると、物凄い戦闘力を発揮して、瞬時に弾幕やスペルカードの結界で敵対者の妖怪や人間を倒していく。
- 霊夢が怒りやすいのは、忍耐力が弱いのではなく、アスペルガー特有の感覚過敏から由来している。霊夢は1人暮らしで対人関係がやや苦手であり、悲しくも苦しい寂しさに襲われているが、そんな霊夢をアスペルガーの魔理沙は毎日博麗神社を訪れて、抱きしめるなどして慈愛に溢れた魔理沙に念に守られている。
- そして対人関係が苦手な霊夢が、魔理沙と慈愛に満ちた友人関係を築いているのは、幻想郷の民の中でも霊夢と魔理沙のアスペルガー度が最も高いからである。
- そして幻想郷には主人公二人以外にも、八意永琳や射命丸文など多くのアスペルガー症候群の人物が暮らしている。
『魔人探偵脳噛ネウロ』
- これは群を抜いてアスペルガー的であると思われる漫画である。作風の狂気性、登場人物の特化した能力及び異常な程の一つの物事に対するこだわり、セリフの独特な使い方などがアスペルガー的と思われる。人間の脳の進化や遺伝子的な事柄を扱った作品である為、自身で認知している者は共感を覚え、認知していない者はその独特な作風に惹き付けられる傾向があるようである。
- この作品の中に登場する約9割の人間が、魔人ネウロを含めてアスペルガー的であるといっても過言では無い。
- その実験的な作風や題材によって多くのコアなファンがいる。そのファンもまた惹き付けられる様にして集まった者も多い。
- アスペルガーというものを理解する上で、専門的な用語を殆ど使わずしてこれほどまでにダイレクトに、かつ的確に主観的、客観的に描いた作品は今の所無いように思われ、実に興味深いものである。
『テニスの王子様』(許斐剛、1999年-)
- 越前リョーマなど、多くの人物が性格的にアスペルガー症候群であり、かつ、ありえないようなど迫力の凄まじい大技はアスペルガー症候群がなすべきものである。
- 「まだまだだね」と言うセリフは「まだまだアスペルガーを発揮しきってないね」という意味でもあり、登場するテニスプレイヤーの多くが個性豊かであるのはそのためである。
『のだめカンタービレ』(二ノ宮知子、2001年-2010年)
- のだめこと野田恵が典型的なADHD併発型のアスペルガー症候群である。モデルとなった人物はもちろん、ドラマでのだめを演じた上野樹里自身もアスペルガー症候群であるという強烈コンボ。のだめを見れば発達障害者がどのような行動特性と秘めたる才能を持っているかが分かるという良書である。
『ポケットモンスター』
- アニメ版『ポケットモンスター』の主人公の名前「サトシ」は、田尻智に由来している。『TIME』のインタビューで、田尻は「サトシ」は子供時代の自分自身の分身だと答えているが、原作者の田尻智自身がアスペルガー症候群との診断が下されているめ、サトシも自ずとそうであると判断できる。そもそも「自分の分身」を堂々と自分の作品の主人公にするあたりが(以下略)。
『クレヨンしんちゃん』(臼井儀人、1990年-)
- 主人公である野原しんのすけこそがフィクションにおけるアルペルガー症候群患者の代名詞といえよう。
『DEATH NOTE』(小畑健、2003年-2008年)
- Lこそがフィクションにおけるアルペルガー症候群患者の代名詞2号。
『NARUTO』(岸本斉史、1990年-)
- タレント事務所「暁」に所属する(故)サソリがアルペルガー症候群患者である。幼少時は上記で述べた野原しんのすけと声が同じである。
『鋼の錬金術師』(荒川弘、2001年-2010年)
- ホムンクルスの関係者でありながら変態野郎のゾルフ・J・キンブリーがアルペルガー症候群患者である。
『トリコ』(島袋光年、2008年-)
- GTロボに酷似した生物であるニトロがアルペルガー症候群患者である(アルペルガー症候群患者は人間だけじゃないのだ)。
『〈古典部〉シリーズ』(米澤穂信、2001年-)
- ヒロインの千反田えるは記憶力と五感に優れている一方で、「わたし、気になります」という言葉とともに周囲の人々を巻き込んで自分1人の疑問を強引に解決しようとするアルペルガー症候群患者である。なお、2012年に『氷菓』のタイトルでアニメ化もされている。
『妹が作った痛いRPGシリーズ』(高橋邦子、2009年-)
- 登場人物の多くが天才的な能力を発揮し凡人には及びもつかない大胆な手段で問題解決を行う一方、些細な事ですぐにブチ切れて殺し合いをする様子は、アスペルガー症候群患者の特徴をよく表している。
- これらの作品の成功を受け、アスペルガー症候群という名の天才たちを登場人物とする作品は、今後も多く発表されることになるだろう。それらの作品が、アスペルガー症候群への人々の無理解を正す一助となることを、願ってやまない。(同著のあとがきの結より)
アスペルガー賛美に対する警鐘 †
昭和大学附属烏山病院院長の加藤進昌は、週刊現代2010年4月17日号の記事の中で、アスペルガー症候群が選民であるという認知が広がる一方で、アスペルガー症候群の人間は「天才」「凡人とはかけ離れた存在」という一種のステレオタイプ化が進んでいる風潮に警鐘を鳴らしている。加藤自身、診察で否定しても「自分はアスペルガー症候群だから天才に違いない」「アスペルガー症候群の自分はもっと尊敬されるべきだ」と決め付け、食い下がる、実はただの凡人(ほぼ自己愛性パーソナリティ障害や反社会性パーソナリティ障害といった単なる人格障害)が増加しているという。
関連項目 †